「愛情表現」の仕方

昭和17年生まれの私の父は、団塊真っ只中の世代。ひと昔前のオヤジによくあるように、「愛情表現」がとても苦手で、母と手を繋いで歩くこともなければ、母をロマンティックなデートに連れ出すなんてことも全くなく、子供たちに対しても「家族が大切だ」とか「好きだ」とか全く言わない人でした。

昔は、「お父さん、ホントに私たちのこと好きなのかな。義務で養っているだけなのかな」と思っていました。でも最近、それは「愛情表現」の仕方が違っていただけだ、と思えるようになりました。

父は、大学を卒業してすぐ就職した会社を定年まで勤め上げました。勤続期間、22歳~60歳、勤続年数、なんと、38年。その間、毎月ほぼ安定した給料を家に持ってきてくれました。

父の弟(私にとって叔父)がちょっと困った人で、他で借金を作っては、いつも私の家にお金の無心をしてきました。うちは安定した収入がありながら、生活はいつもギリギリでした。でも、どれだけ叔父がうちにお金を無心してきても、父が毎月ちゃんと給料を持ってきてくれるから私の家は大丈夫、と家族は安心して暮らすことができました。

でも実際は、勤続38年はとても大変なことだったみたいです。

私の父は社内の政治に疎く、性格的にも要領がいい方ではないので、出世コースに乗っていなかったことは(娘から見て)容易に想像できます。時には職場の人間関係に悩んだこともあるようで、私が子供の頃、父が母に「でも、頑張んなよ」と励まされているのを偶然見たことがあります。

娘の私には、そんな苦労を見せないようにし、父は働き続けました。60歳の誕生日、定年退職のその日まできっちり勤め上げました。

今では、父は「毎月必ず給料を持って帰る」という方法で、家族を守ってきたのではないかと思っています。もし、父が仕事を辞めてしまっていたら、うちは叔父の借金にのまれて破綻していたかもしれません。

愛情表現の仕方はそれぞれ。「自分がどれだけ相手を好きか」をアピールする仕方もあれば、「大事だから」こそ、その人(たち)を「守る」という方法もあります。私の父は、後者のタイプなんだと思います。

そんな父は、定年退職後、やることがなくなって暇なのか、「お稽古だ」「観劇だ」と忙しく出掛ける母の後をいつも付いて回っているのだそうです。母が、「お父さん、私の専属運転手になったのよ」と言っていました。未だにやっぱり愛情表現(アピール)はできないけど、「役に立ちたい(嫌われたくない?)」と頑張っている父が、なんだかもう健気です。

そんな父も、今日で68歳になりました。
娘は、あなたがずっと私たち家族を守ってきてくれたことに、感謝しています。
生日快樂。身體健康!

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