口先だけでなく行動を

領事館の注意喚起通り、今日、バンクーバーで反日デモがありました。

領事館の注意喚起では「1,000人規模になる」とのことでしたが、実際は400~500人程度だったみたいです。中国のデモのような過激さは全くなく、チャイナタウンから領事館までシュプレヒコールを上げて行進し、日本の国連安保理常任理事国就任反対の署名を渡すというものでした。

領事館が事前に注意喚起を出したことに対して、デモ参加者は「まるでウチらが日本人を襲うような警告を出したことが非常に気に入らないよ。ウチらはそんな野蛮じゃないよ」と怒ってたようです。また、デモ代表者が「署名を領事に直接渡したかったのに、領事は会ってもくれなかった」と嘆いてました。

日本では反日デモが過激に報道されているようですが、こっちの中国人の友達によると実際はこれに近いモノがあります↓

・産経新聞社 「中国の大学生「反日デモ」どう見た」

だから、最近の日本のマスコミによる反日行動の報道は派手過ぎて目に余るものがあります。それを信じた日本人による感情まかせの意見が膨らんでいるのがとても気になります(´・ω・`)。

立花隆のメディア ソシオ―ポリティクス
・小泉首相はドイツ型謝罪で中国・韓国との関係修復急げ
・中国の反日デモを挑発した小泉首相の政治責任を問う

日本人のほとんどに共通している心情だと思うが、もう戦争の問題はいいかげんにしてもらいたいと思っているのだ。戦争は悪うございました。それは認めてます。何度も謝りました。講和条約も結んだじゃないですか。平和友好条約も結んだじゃないですか。請求権の問題も片付けたじゃないですか。賠償代りの経済援助も山のようにしてきたではないですか。これ以上何度も繰り返し謝罪の問題を蒸し返すのはやめにしてもらいたい、と思っているのだ。

中国も韓国も、本当はこの問題で、これ以上日本との関係を悪化させたくないはずである。できればことをおさめる方向にもっていきたいにちがいない。しかし、ことをおさめるためには、外交的な一定の型を作ることが必要である。国家のことはナアナアでおさめてしまうわけにはいかない。すべからく型にはめた上でおさめることが必要なのである。

中国も、韓国も、求めているのは、ドイツ型の謝罪である。ドイツ型の謝罪とは、1970年に当時の西ドイツ首相ブラントがポーランドを訪問して、ワルシャワ・ゲットーの記念碑の前にひざまずき、「こうすべきであったのにこうしなかったすべての人たちに代ってひざまずく」といって、ひざまずいて謝罪したことをさす。

その後、1985年には、ワイツゼッカー大統領が終戦40周年記念式典で有名な謝罪演説を行い、94年にはコール前首相が、05年にはシュレーダー首相が、などなどドイツ歴代の首相、大統領が(ここに名前をあげない人々を含め)、ポーランド、イスラエル、バルト三国などを毎年のように訪問しては、犠牲者の碑の前で、頭を下げつづけてきた。それによって、ドイツは国際社会から戦争犯罪については許しを得た形になっている。

なぜ小泉首相はそれができないのか。それができないだけでなく、逆に神経を逆なでするようなことをつづけているのはなぜか。

この反日デモの一件で唖然としたのは、小泉首相の態度である。小泉首相の靖国神社参拝問題が、この最大の引き金となっていることはどう否定しようもなく明らかなのに、その点を問う記者の質問に、小泉首相はぬけぬけと「関係ありません」の強弁を繰り返していた。

小泉首相が、中国、韓国の強い反対を知りながら靖国参拝をつづける行動は、小泉首相がどう弁明しようと、日本の戦争に対する反省心が十分でないあらわれと受け取られる可能性がある。

このままいくと、日本は民族をあげての戦争無反省国家であると思われてしまう可能性が非常に強い。

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