今日は、ドキュメンタリー番組「Penn & Teller: Bullshit!」の「Video Game Violence」を観ました。
トピックは、「Video Game Violence(ゲームの暴力性)」。タイトルから察しがつく通り、「(シューティングゲームなどの)暴力的なゲームは、子供たちの行動までも暴力的に変えてしまうかどうか」です。
しかし内容は、番組タイトル「Bullshit!(んなわけないじゃん!)」に乗っ取り、「暴力的なゲームは子供たちを暴力的にさせる」と主張する人を、(Fワードをふんだんに使って)どんどんコケ下ろし、「もし子供が暴力的な態度になったとしても、それはゲームだけが原因じゃないだろう?」を暗示させるような、「ゲーム脳に対する反論」のアメリカ版みたいなものでした。
私は専門家じゃないので、暴力的なゲームが人の行動までも暴力的にさせてしまうかどうかを判断することはできません。しかし、すごく身近に(今もすぐ隣り15cmの距離に)、幼稚園の頃からゲームをプレイし、今では人生そのものをゲームに捧げつつある“鬼ゲーマー”が居ます。彼を見ている限り、「暴力的なゲームは子供たちを暴力的にさせる」という意見には賛成出来かねないところがあります。
それは、彼氏が暴力的でない(むしろ超チキン)というのもありますが、暴力的なゲームが好きな人と嫌いな人(興味を持たない・興味を持てない人)の「人間的素質の違い」を、ゲームの悪影響を主張する人は理解していないように思うからです。
例えば、彼氏は毎晩欠かさず、CSをプレイします。それは、彼は反射神経が良くて、画面に敵が現れたら瞬時に反応することができ、その“瞬発力”を発揮して、オンライン上でどんどんのし上がっていくのが楽しいから、毎晩、飽きることなくプレイしているようです。
しかし、私はCSに全く興味がありません。なぜなら、私は反射神経が鈍く、スーパーマリオは一面もクリアすることができないし、モンハンもギブアップ気味、CSなんて始めたらあっという間に他のプレーヤーに殺されてしまうのが目に見えているからです。
では、もし私が彼氏並みに瞬発力が高かったら?自分の思うように敵を討ち取ることができたら?もしかしたら、ゲームにハマッていたかもしれません。それは、「人を殺すのが楽しい」からではなく、「自分の能力(瞬発力)を発揮して、どんどん勝ち進むことができる」のが楽しいからです。
Penn & Teller: Bullshit!の番組内で、ゲームが好きな子供の母親が言っていました。「暴力的なゲームをプレイする人は、ゲーム内で人を殺しているからと言って、実際に人を殺したいとは思っていない。ゲームはファンタジー。現実とは違う。子供にだって、その区別はついている」と。ゲーム内で人を殺すことは、単に“プレーヤーが強制的に一時休戦”になるだけですが、実際人を殺すことは、被害者の人生を奪うことで、その区別は歴然としています。それを一緒に捉えてしまうのであれば、それはその人の倫理観に問題があるように思います。
では、「ゲームの悪影響」についてはどうか。
それは、その人の生活にゲームがどれほど占めているかによりけりです。
何事も節度が大切で、ゲームを日々の生活の隙間時間や自由時間に楽しむ程度にプレイするのであれば、ゲームはその人の生活にとってとても有用ものになるけど、ゲームをプレイする時間が生活に必要な他の事をする時間を圧迫してしまっているのであれば、それはもう、ゲームが中毒になっていると言ってもいいかもしれません。
煙草であれ、お酒であれ、ドラッグであれ、「中毒」は、お金と時間と労力を浪費します。ゲームも然り。
暴力的なゲームだって、それをファンタジーと捉え、自由時間に楽しむ程度に抑えられれば有用だけど、それにハマり、オンライン上でのスコアを他のプレーヤーと競うために睡眠時間を削ってまでプレイするのであれば、それはゲームが生活に悪影響を与えていると言えるのではないでしょうか。
ということを、隣り15cmの人に言って聞かせているのですが、鼻ほじりながら口半開きで「オッケィー」と返事しています。彼がゲームをするのを止める気ないし、楽しいのならどんどんすればいいと思いますが、ただ、夜更かしし過ぎて翌朝起きれなくなるのなら、節度を持って就寝時間にはスッパリ切り上げるようにすればいいのに。
(それがどうもできないようです。困ったもんだ)
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