高野悦子「二十歳の原点」

1969年6月24日午前2時、国鉄山陰線天神踏切近くで一人の女性が貨物列車に飛び込みました。

彼女の名前は、高野悦子。享年、二十歳。死後発見された彼女の日記が、この「二十歳の原点」です。

「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。」

これは彼女の二十歳の誕生日に書かれた日記の一文です。私も二十歳の時、彼女と同じようなことを考えていました。

当時、ありとあらゆることに不満を持ち、またその不満の原因が「自分の未熟さ」にあると自分自身気付いていました。だからとにかく「何もかも自分の目で見て、自分で経験し、その結果、何か分かるのかもしれないし、失望するだけかもしれないけど、今(当時二十歳)この時点で不満を自分に当り散らしても、5年10年後何も変わらないだろう」と思い、家を出ました。

新しい土地でたった一人、まずは生活していくため急いで仕事を見つけてがむしゃらに働き、そこから段々知り合いが増え友達ができ、世間知らずだったために何度かバカを見ることもあったけど、辛い思いをするたび、自分の不完全さ(=自分への不満)が薄れていったように思います。

そしてある日、勢い余って海外へ飛び出しました。海外では、日本人であることを優遇されることもあれば、日本人であるがゆえに自分の否でないところまで避難されることもありました。でも、最終的には「私が私自身である」ことが受け入れられることが分かりました。

その時、「この世界、まんざらでもないな」と思いました。これは自分の中ではかなり大きな変化で、「もう一生、死ぬまで生きていくことができる(←よく読むと、変な日本語)」と思いました。

しかし彼女は、未熟であることを自覚しながらも「論理化する」ことにこだわりました。

「生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる。」

退歩を怖れ、怠惰を許さない性分であるため学生運動にものめり込み、混沌の中、自分の否定と肯定を繰り返し、最後は「不完全さを克服するところに人生の発露がある」という自分の言葉も見えなくなり、貨物列車に飛び込みました。

生き急いでしまったことがとても残念です。

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