この「沈黙」は、島原の乱が鎮圧されて間もない頃、キリシタン弾圧を強いていた日本に潜入したポルトガル人司祭が、棄教を拒み拷問されて死んでいく日本人を目の当たりにして、迷い、苦悩する姿を描いた傑作です。 小説のタイトルにもなっている「沈黙」という言葉は、ストーリー全体を通して主人公のポルトガル人司祭、そして読者に、重く圧し掛かってきます。 彼が混乱しているのは突然起こった事件のことではなかった。理解できないのは、この中庭の静かさと蝉の声、蠅の羽音だった。一人の人間が死んだというのに、外界はまるでそんなことがなかったように、先程と同じ営みを続けている。こんな馬鹿なことはない。これが殉教というのか。なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓が??あなたのために??死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静かさを続ける。この真昼の静かさ。蠅の音、愚劣でむごたらしいこととまるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。それが・・・耐えられない。 「日暗みて、神殿の幕、中より裂けたり」これが、長い間考えてきた殉教のイメージだった。しかし、現実に見た百姓の殉教は、あの連中の住んでいる小屋、あの連中のまとっている襤褸と同じように、みずぼらしく、あわれだった。 「神は矛盾を孕んだ存在です。」 と、断言すると、どこかから非難されそうな気がしてドキドキなのですが、私はかなり昔からそう思ってきました。 人間の歴史の中で、神の名において始まった戦争がとても多いです。その戦争の戦死者達は神のために死んでいくが、そもそも彼らが思う神が本当に「神」ならば、戦争なんて起こらないのじゃないか、なぜ神という存在は無用な殺傷を引き起こすのか、十字軍遠征なんて明らかに他民族を征服する動機付けに「神」が利用されていただけだったのに、彼らはあれを「聖戦」と信じていた。その信心に、矛盾を感じずにはいられません。 「沈黙」の主人公のポルトガル人宣教師は「神の奇跡」を信じ、どんな逆境にも耐え続けます。しかしそれは、自分の力ではどうしようもないことを、人力超えた力で自分の納得する形で解決することを期待しているように思えました。 Did you make mankind after we made you? あなたが人間を作ったのは 人間があなたを作った後のことですか? (XTC / Dear God) 信じる力を肯定する根拠として「神」が存在するならば、神の存在とは一体何か?と考えてしまいます。私は、神の存在の否定はしません。むしろ、人間はとても弱いから、神は存在していた方がいいと思っています。 XTC / Dear God (アルバム「Fossil Fuel (Singles 1977-1992) 」収録) Dear God, Hope you got the letter, 神様 手紙を受け取ってくれましたか? And I pray you can make it better down here. 私はあなたがこの世をもっと良くしてくれると願っているのです I don't mean a big reduction
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高野悦子「二十歳の原点」
1969年6月24日午前2時、国鉄山陰線天神踏切近くで一人の女性が貨物列車に飛び込みました。 彼女の名前は、高野悦子。享年、二十歳。死後発見された彼女の日記が、この「二十歳の原点」です。 「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。個々の人間のもつ不完全さはいろいろあるにしても、人間がその不完全さを克服しようとする時点では、それぞれの人間は同じ価値をもつ。そこには生命の発露があるのだ。」 これは彼女の二十歳の誕生日に書かれた日記の一文です。私も二十歳の時、彼女と同じようなことを考えていました。 当時、ありとあらゆることに不満を持ち、またその不満の原因が「自分の未熟さ」にあると自分自身気付いていました。だからとにかく「何もかも自分の目で見て、自分で経験し、その結果、何か分かるのかもしれないし、失望するだけかもしれないけど、今(当時二十歳)この時点で不満を自分に当り散らしても、5年10年後何も変わらないだろう」と思い、家を出ました。 新しい土地でたった一人、まずは生活していくため急いで仕事を見つけてがむしゃらに働き、そこから段々知り合いが増え友達ができ、世間知らずだったために何度かバカを見ることもあったけど、辛い思いをするたび、自分の不完全さ(=自分への不満)が薄れていったように思います。 そしてある日、勢い余って海外へ飛び出しました。海外では、日本人であることを優遇されることもあれば、日本人であるがゆえに自分の否でないところまで避難されることもありました。でも、最終的には「私が私自身である」ことが受け入れられることが分かりました。 その時、「この世界、まんざらでもないな」と思いました。これは自分の中ではかなり大きな変化で、「もう一生、死ぬまで生きていくことができる(←よく読むと、変な日本語)」と思いました。 しかし彼女は、未熟であることを自覚しながらも「論理化する」ことにこだわりました。 「生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる。」 退歩を怖れ、怠惰を許さない性分であるため学生運動にものめり込み、混沌の中、自分の否定と肯定を繰り返し、最後は「不完全さを克服するところに人生の発露がある」という自分の言葉も見えなくなり、貨物列車に飛び込みました。 生き急いでしまったことがとても残念です。
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Woodstock '99 <宴の後>
Woodstock '99 <宴の後>
By may
朝、人の足音で目が覚めました。時計を見ると午前7時。私たち3人が乗るNYC Belmont Park行きのバスは午前10時出発なのでまだまだ時間はあるものの、ヒューストンなど遠くへ向かうバスはもうこの時間から次々と乗客を乗せて出発していました。 目が覚めても頭が回らず(多分、間接喫煙のマリファナのせい)、30分ぐらいぼぉーとしていると、陽はどんどん登り、なおかつ自分たちのいる場所は滑走路の上のため、だんだん暑くなってきました。「ここにいても暑いだけだし、出発待ちのバスにでも乗せてもらおうか」と、3人NY行きのバスを探すため歩き出しました。 昨夜の暴動で疲れ切ってまだ寝ている観客があちこちにいました。破壊された会場の中を歩いている人もいました。みんな顔も髪も体も砂だらけで、痛々しいほど日焼けしています。「みんな、ヒドイ格好してるね」とダニエルに言ったら「自分だってそうじゃん」と言われました。鏡を見てみたらその通りでした。 NY行きのバスは見つけたもののすぐには乗せてもらえず、結局出発の時間寸前にやっと乗せてもらえました。行きのバスはみんな歌を歌ったり騒いだりしていたのに、帰りのバスは5分で全員爆睡。途中で一度トイレ&食事休憩を取り、バスに乗ったら再度爆睡。次に目が覚めたら、NYCに到着していました。 バスを降り、ダニエルとクリスに「4日間楽しかった、ありがとう。んじゃ、これで」と言って去ろうとしたら、ダニエルに「帰りの飛行機は何時?」と聞かれました。「夜8時」と答えたら、「クリスの父さんが3人分の食事を用意して待ってるから、今からクリスの家に行こう。そんな汚い格好で飛行機乗るのもヤでしょ?風呂に入っていくといいよ」と言われました。確かにそのまま飛行機に乗ったら、隣の席の人が嫌な顔をしそうなほど汚いです。好意に甘え、クリスの家に行くことにしました。 午後4時、クリスの家に到着。クリスの家に入った瞬間、食べ物のすごくいい匂いがしました。「久しぶりに人間の食べ物の匂いを嗅いだよね」と3人で笑ってたら、奥からクリスの父さんが出てきました。 クリスの父さん、クリント・イーストウッドにそっくり。(むしろ、クリント・イーストウッドよりカッコイイ!)「この素敵なダディに、なぜこの息子?!(←失礼な!でも親子似てない)」とビックリしました。 クリスの家でご飯を食べて、風呂借り、TVを観て過ごしました。そうしてるうちに飛行機の時間が近づいたのでダニエルに空港まで送ってもらい、搭乗口で4日間のお礼を言って別れました。 バンクーバー行きの飛行機の中で、その日のNEW YORK TIMESを読みました。Woodstockの記事(このログの最初の画像がそれ)を読むと、「ああ、終わってしまったんだな」と、とても寂しい気分になりました。 結局この4日間、一人で楽しむつもりが一日も一人にならず楽しむことになりました。たまたま出会ったダニエルとクリスがまともなRock Kids(Woodstockにいながらドラッグ禁止だった)でラッキーだったこともあるけど、この二人の他にも、会場で隣のテントにいた「69年のWoodstockにも行った」というおっちゃんとか、シャトルバス待ちで並んでいた時に前にいた田舎のメタル好きダサダサ高校生とか、最終日に滑走路へ逃げた先にいたピースフルな人たちとか、みんなとっても仲良くしてくれました。 もしかしたら、いろいろなバンドのライブが観れたことよりも、ロック好きのアメリカ人とキャンプができたことの方が楽しかったかもしれません。いろんな人と音楽についてかなりディープなところまで語り明かすことができました。だから、今回このように暴動が起こり、次回がなくなってしまったことが非常に残念です。もし暴動がなければ、今年、Woodstock '04をやってたかもしれないのに! 夏フェス、大好きです。Woodstockはもうnever againだろうけど、ロラパルーザは復活しないのかなぁ。じぇったい行くのに!
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Woodstock '99 <最終日>
3日目の朝はさすがに疲れが溜まってたのか、かなり遅くまでテントの中で熟睡してました。昼近くなるとテントの中が蒸されて暑さで目が覚めてしまったので、のそのそとテントの外に這い出ました。外は昨日よりは若干陽が陰っているものの、やはりいい天気。隣のテントの二人を起こして、洗面&トイレを済まし、会場の中を少し歩き回ることにしました。 いつの間にか会場の外壁が破壊されていて、自由に出入りできるようになっていました。Mural Wall(絵の壁)は全て持ち去られていました。FOOD COURTは食べ散らかして足の踏み場もないほどの生ゴミが異臭を放ち、洗面所の水道は壊され噴水状態になっていました。 「なんか、いろいろ壊されてるね」 「昨夜のリンプが原因じゃねーの?」 そんな会話をしながらWEST STAGE後方の芝生に落ち着き、夜に向けて体力を温存させるため昼寝をすることにしました。まわりにも同じように疲れて昼寝している人がいっぱいいました。寝転びながら近くを通る人をぼんやり見ていると、なぜかまわりは裸族だらけです。女子は積極的に乳を出してるし、男の人もブラブラパシパシさせながら歩いています。(「Love & Peace=裸」ということ?) 夕方近くになり暑さも和らいできたので、EAST STAGEへ移動することにしました。途中、「10万人のピースキャンドルに参加しよう。今夜8時、EAST STAGEで!by Levi's」というチラシとキャンドルをもらいました。 「8時だって。その頃、誰がライブしてる?」 「トリのレッチリじゃないの?」 「レッチリでピースキャンドルなんて出来るのかよ?Give It Awayだったら、頭燃えるわ」 「'`,、 ( ´∀`) '`,、 ( ´∀`) '`,、」 EAST STAGEに着くとちょうどコステロが終わったところでした。JEWEL→CREEDと続き、完全に陽が落ちて真っ暗になったところで、トリのレッチリがスタート!いきなり、フリーが全裸でステージに現れました。 「きゃあー!(期待通り、モロ出しだ!)」 私のその喜び様に連れの二人が「ちょ、ちょっと!なんで奴は全裸なんだ?」と聞いてきました。「あの人、いつもそうなのよ。ライブでは全裸が日常」と答えると、オーマイガッという顔をしてました。3曲目でバラードのScar Tissue、そのタイミングでちょうど8時。会場のあちこちでキャンドルの灯りが点き、私も隣の人から火を分けてもらい、キャンドルを灯しました。しかし、キレイだったものの何があったわけもなく、あっけなくピースキャンドル終了。(あれぇー?) ライブも終盤に入ったところで、突然大きな音がし、会場の数ヶ所から火が上がりました。観客はステージも見たいけど、後ろの方の大きな火は一体何だとみんなオロオロ。そこで人づてに誰かが機材用の10tトラックに放火したということを聞きました。レッチリのライブが終わった後、急いでテントに戻ろうとしたら、その途中、会場のスタッフテントが放火されていたり、お土産屋さんが襲撃されてたり、襲撃して盗んだ商品を売ってる観客がいたり(売るなよ!)、みんな暴れ放題。といっても緊迫した怖さはなく、「奴ら、ドラッグとアルコールで頭がやられておかしなことしてるなぁ」「便乗して喜んで暴れているキッズもたくさんいるなぁ」というカンジでした。 (後日、「危なくなかった?」とよく聞かれたけど、暴れてる連中より、そこから逃げる観客の方が圧倒的に多かったため、避難民の中にいればさほどキケンではなかったです。) テントに戻ると、すぐ近くでも何かが放火されていて、すごい勢いで炎が上がっていました。ダニエルとクリスが「テントはそのままにして、すぐ避難しよう!」と言うものの、私のテントはルームメイトの借り物だったので「先、行ってて。私はテントたたんでから行くから」と言い、テントのポールを外してシワを伸ばしながらキレイにたたみ、砂をぽんぽんと払って袋に入れていたら、先に避難したと思った二人はまだ近くにいて、「オメー、スゲー神経してるわ」と言ってきました。(そうかな?) 荷物を持って、他の人が逃げる方へいっしょに逃げたら、バス乗り場に辿り着きました。バス乗り場は滑走路の一部で、逃げてきた人たちが座り込んだり寝てたりしていたので、私たちも今夜はそこで眠ることにしました。ダニエルとクリスがテントといっしょに寝袋も置いてきてしまったので、私の寝袋を広げた上に3人で仰向けに寝転びました。 空には満点の星が光っていました。誰かが近くでビートルズをギターで弾いていました。1時間ぐらい話をしてたら、会場の混乱も落ち着いてきたのかまわりが静かになり、私たちも喋り疲れてそのまま眠りにつきました。 1999/7/25 BAND SETLISTS 【EAST STAGE】 11:00AM - 12:00PM: TBA 12:15PM - 1:15PM: WILLIE NELSON 1:30PM - 2:30PM: BRIAN SETZER ORCHESTRA 2:45PM -
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Woodstock '99 <2日目>
2日目は、朝10時頃、爆睡から自然に目が覚めました。テントから這い出し隣を見たら、クリスも今、目が覚めたというカンジでテントの前に立っていました。 「おはよーう( ´∀`)」 「おはよう( ´∀`)」 「ダニエルは?」 「まだ寝てる」 夜中に少し雨が降ったけど、朝になったらいい天気になってました。「なんだか今日も暑くなりそうだねぇ」と話していたら、ダニエルも起き出してきたので、3人で顔を洗いに行きました。 洗面場へ行く途中、先頭が見えないすごい行列に遭遇。並んでいる人に「何に並んでいるの?」と聞いたら、シャワーだということ。「ほらほら!夜のうちにシャワー浴びておいてよかったでしょ?ね?ね?ね?」とちょっと得意気になってたら、「OK, that's enough, no more」と軽くあしらわれました。 ライブは昼からなので、午前中は会場から町まで出ているシャトルバスに乗って朝&昼食を食べに行くことにしました。そのシャトルバスは、なんと私の憧れの黄色のスクールバス!「きゃああ!このバスに一度乗ってみたかったの!」と大ハシャギしていたら、連れも含めまわりのアメリカ人にかなり冷めた目で見られました。(実際乗ってみたら、座席が小さくてすごく窮屈でした・・・) シャトルバスの行き先は、Romeの町の栄えている場所かと思いきやショボイ食べモノ屋が数軒並んだだけの交差点(´・ω・`) 。そこにあったマクドナルドでハンバーガーを食べ、その時初めて3人お互いのプライベートについて話をしました。ダニエルとクリスは生まれも育ちもNYCのBrooklyn、二人共この夏大学を卒業し、秋に一人は大学院、もう一人はロースクールへ進学するということでした(Blink182とGarbageのTシャツ着て、見た目アホっぽいから意外だった・・・)。 お腹がふくれてから、シャトルバスで会場に戻り、バス乗り場前のMural Wall(絵の壁)を見て回りました。ボランティアが描いたという古き良き'69を懐古させる素敵な壁画がたくさんあり、とても素敵でした(しかし、これらの壁画は最終日には破壊されて盗まれることに・・・)。 アラニスからステージを見に行き、続いてリンプへ。リンプのライブは始まりと同時にまわりの観客が暴れ出し(激モッシュ)、前方にいた私も何度かボコられました(うおらぁ!痛いっちゅーに!)。途中でフレッドが、「カップルで来てる奴、女子を肩車しろーっ」と叫び、あちこちで肩車が出来ると次に「肩車されてる女子ぃー、乳見せろー」と叫びました。女子らは言われるままタンクトップやブラを脱ぎ始めました。 「オーマイガッ。言われるままに、乳見せんなよ・・・org つうか、肩車してる彼氏、止めろよ!(他の乳見て喜んでるんじゃない!)」 その後フレッドは、ステージ上でマリファナを吸い始め、その後のライブはヘロヘロでダメダメになってしまいました。このリンプのライブはさすがに暴れ過ぎだったようで、スタッフから「死人が出たら、ショーをキャンセルするぞ。頼むから、落ち着いてくれ」というアナウンスが入りました。 続いてレイジを観て、最後は・・・ EAST STAGE メタリカ WEST STAGE ケミカルブラザーズ ここで、ダニエルは「ケミカルが観たい」、クリスは「メタリカが観たい」とケンカ勃発。「Maeは?」と聞かれ、「テントに戻って、もう寝たい」と言ったらあっさり却下(チッ)。「お互い別々のものが観たいんだったら、一人一人別々のステージに行けば?」と言っても、それではいっしょにWoodstockへ来た意味が無くなるからダメなんだそうな。「案外、アメリカ人は友達同士くっついてるのが好きなんだなぁ」と思いました。私だったら、さっさと一人で見たいステージへ行っちゃうのにー 話し合いの結果、前半ケミカル、後半メタリカを観ることになりました。しかしケミカルは途中で抜けるに抜けれなくなり、結局メタリカは最後の1曲しか聴けずクリスはかなり不満。「まあ、メタリカはツアーやってるし、またいつでも観に行けるよ。明日、クリスの観たいのを優先しようね」となだめていたら、「Maeの英語は変だけど、言おうとしていることは分かるよ。慰めてくれるんだね、ありがとう」と言われました。 この日はレイブまで行く元気がなく、ライブが終わったらそのままテントに戻り、シャワーを浴びに行きました。女子シャワー室に入ったら、壁に直径1mほどの穴が開いていて、その向こうで数人の男が写真を撮っていました。それに気付いた数人のアメリカ人の女の子は怒っていたものの、ほとんどが気にせず写真に撮られるままシャワーを浴びてました。「アメリカ人男子は、女子の裸を見たい場合、コッソリ覗くんじゃなくて、壁に1mの穴を開けちゃうんだ。スゴイなぁ」と思ったら可笑しくて可笑しくて、連れに面白がって報告しました。 2日目もこれにて無事終了。明日の混乱も知らず、穏やかに眠りにつきました。 1999/7/24 BAND SETLISTS 【EAST STAGE】 12:00PM - 1:00PM: THE TRAGICALLY HIP 1:15PM - 2:15PM: KID ROCK 2:30PM - 3:15PM: WYCLEF JEAN 3:30PM - 4:30PM: COUNTING
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Woodstock '99 <前夜~初日>
Woodstock '99 <前夜~初日>
By may
昼休み、同僚と「OZZY→OZZ FES→夏フェスいいよね→Woodstock」と話が盛り上がり、「私、Woodstock '99行ったんよ」とカミングアウトしたら、なんと彼もWoodstock '99に行っていたことが発覚しました。 きゃあー、なかまなかまー♪ 「マリファナの煙もうもうだったよねぇ」「みんな暴れてたねぇ」 と、思い出話に花が咲きました。 当時(1999年)、私はワーホリでバンクーバー(カナダ)に住んでいました。新聞でWoodstock '99の開催を知り、「ジミヘンとジャニスのあのWoodstockが、今年の夏、復活するんだ・・・NY州のRome?カナダとの国境近くじゃん。じゃあ、行こ!」と、速攻チケットを取りました。 出発の1週間前、当時のルームメイト(コリアンとイラニアン)に、「Woodstock '99へ行ってくるから、7/22-26の5日間、留守にするよ」と言ったら、「Woodstock '99に一人で行く?!やめときなよ、危ないよ!」と猛反対されました。しかし、「チケット取っちゃったし、裸のアンソニーを生で見たい」と思ったので、彼らの反対を押し切って行くことにしました。 1999年7月22日、11:30AMバンクーバー発の飛行機でNYへ。次の日の朝6時に空港近くのBelmont Parkから出るバスで5時間かけて会場のRomeへ向かうつもりだったので、その日は空港で野宿しました。(←私、昔こういうの得意でした。今はもうやらないけど) 次の日の朝5時に目を覚まし、空港のトイレで顔を洗って歯を磨き、駐車場でタクシーを拾ってBelmont Parkへ。Belmont Parkの入り口に着くと、周りはバックパックを持った若者でいっぱいでした。みんな、Woodstock '99へ行くようです。タクシーを降り、運ちゃんに「レイプされないように気を付けてなー」と忠告を受けてバス乗り場へ。前日しっかり眠れなくて、寝ぼけ状態で乗車待ちの列にぼんやり並んでたら、横にいる男の子に「さっきから一人だけど、友達は?」と声を掛けられました。 「いないよ。一人で来たの」 「ん?妙なイントネーションで喋るね。どっから来たの?」 「カナダ」 「アジア系っぽいけど、中国人?」 「ううん、日本人」 「一人で寂しくない?」 「全然、平気」 (隣にいる友達とゴニョゴニョ話してから) 「よかったら、僕らといっしょに行動しない?」 「(一人で平気って言ってるのに(´・ω・`)。断るのもアレだし )・・・うん、いいよ」 「僕はダニエル、友達はクリス。よろしくね。君は?」 「Mae。」 ということで、連れができました。 1時間待ってやっとバスに乗車。バスに乗車してからぐっすり眠ろうと思っていたのに、ダニエルが隣に座ってきて質問責めしてきて眠れません。NY人特有の早口英語とスラングで何言ってるんだか全然解んないし、とにかく眠かったので、「昨日野宿でまともに眠ってねーんだよ、寝させろや」とキレたら、「僕も昨日の夜はライブとパッキングとインターネットで一睡もしてないんだよね。じゃ、またあとで。おやすみ。zzz...」と、先に眠られてしまいました・・・。私は、窓から景色を見てたら眠れなくなり、結局会場に着くまで一睡もしませんでした。 [caption id="attachment_1660" align="alignleft" width="200" caption="Woodstock \'99"]<a href="http://maeblog.com/blog/wp-content/uploads/040821.jpg"><img src="http://maeblog.com/blog/wp-content/uploads/040821-200x146.jpg" alt="Woodstock '99" title="Woodstock '99" width="200" height="146" class="size-thumbnail wp-image-1660" /></a>[/caption] Romeに入ってからWoodstock '99に行く車の渋滞にハマったため到着が随分遅れ、会場のゲートに着いた頃にはすでにライブが始まっていました(SOUTH GATEから入ったら、EAST STAGEのジャミロが聴こえてきました。観たかったのに(´Д`)!)。すぐさまライブを観たい気持ちをグッと押さえ、とりあえずテントを張るスペースを確保しておかなくてはいけないので、まっすぐキャンピングエリアに行き、テントを張りました。それから、ダニエルが昨夜インターネットで探し出してきたライブスケジュールを見ながら3人でEAST STAGEとWEST STAGEで観るアーティストを決め、張り切ってステージへGO!暗くなってきたら早めに会場の露店でチャイニーズフードを食べ、食べ終わったらまた速攻ステージへGO! この日のベストアクトは、断然オフスプ!前年に出したアルバム「Americana」がバカでポップな曲が多く、この日のライブもずっとそんなバカで楽しい雰囲気でした。「Pretty Fly」で、ン万人が「あはーん、あはーん」と叫んでいるのには、かなり笑えました。「What
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ニコニコ院長先生
病院案内パンフレット(今回はWebじゃなくて印刷物)の仕事が入り、取材に行ってきました。 病院の出入り業者をしている知り合いが、「医科長レベル以上の偉い人は、自分は総理大臣より偉いと思っている人が多いから大変だよ~」と言っていたので、ちょっと覚悟して行ったら、なんのなんの、院長先生も副院長先生も事務長さんも、とってもいい人達でした。 特に、院長先生(推定70歳より上)。インタビュー中、ずっとニコニコしているのです。 私 「新しいパンフレットで特にアピールしたいことはありますか?」 院長 「新しくリハビリ病棟を作ったことですね( ´∀`)」 私 「そのリハビリ病棟は、いつオープンしますか?」 院長 「今日、事務長が保健所に許可もらいに行きました( ´∀`)。 秋にはオープンしますよ( ´∀`)」 Oh!ユーはどうしてそんなにスマイリーなの??? 取材の休憩時間に、今回の仕事を持ってきてくれたコーディネーターの人にそう言ったら、 「それはね、ここの院長先生は、若い人が大好きだからだよ。若い人が嫌いな先生は、『フン!お前なんかワシと話ができる立場じゃない』とふんぞり返った態度を取るけど、ここの院長先生は全然そんなカンジじゃないでしょう?若者を育てるのを生きがいにしている、すごくいい先生と評判だよ。」 そうだったんだ・・・。(゚∀゚)<わぁ、なんて素敵なおじいちゃん! 今回の取材原稿は、今週中に仕上げる予定です。いつも以上に、愛情込めて頑張ります!
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本当に訪問者が知りたい20の質問
1.サイト名とそのアドレス、あなたの希望する呼ばれ方(ハンドルネーム)についてお答えください サイト名: mayblog(メイブログ) URL: http://maeblog.com/ ハンドルネーム: may 2.あなたのサイトがどんなところか、一言でご説明ください 自分が今、気になるもの、興味あるものを取り上げるブログです。転職・移住・ビザステイタス変更など状況の変化が早く、少し前の自分がまるで他人のような感覚に陥りやすいので、人生の健忘録として自分向けに書いています。 3.このサイトへのリンク、サイト内各ページへの直リンクについてどうお考えかお答えください 完全リンクフリー。 4.「サイト上で訪問者にこれだけは絶対にして欲しくない」ということをお答えください 機械のクロージングによる、英語圏アダルトサイトからのコメントスパム(この文章を読んでるあなたは大歓迎!)。 5.このサイトを運営していく上であなたが何を一番重視しているかについてお答えください ログを書くことは「文章の勉強」、MTをいじることは「Webのバックエンドの勉強」、Blogになじむことは「Blog構造による情報提供と他の情報媒体との違いとメリット、応用への論理作り」に役立っています。なので、いつまでもBlogに対する興味を失わず、うほうほテンションをキープすることを一番大切にしています。 6.このサイトの更新頻度についてお答えください やる気満々の時は毎日。やる気のない時は1ヶ月放置。 7.1回の更新にかかる時間についてお答えください 1時間強かな。 8.現在の訪問者数と、今後希望する訪問者数についてお答えください 現在、1日あたり平均訪問者数180人、ページビュー240くらい。希望する訪問者数はありません。増えても減っても、アイドンマイン。 9.あなたにとって訪問者はどんな存在かお答えください 読んで楽しんでもらえれば、嬉しいです。 10.閉鎖の予定についてお答えください 今のところありません。自分の子供に見せられるまで続けられたらいいなぁ。 11.あなたの性別についてお答えください ♀。 12.あなたの生まれた年代、できればズバリ何年に生まれたかお答えください 1975年。 13.現在のご職業について差し障りない程度にお答えください Webディレクター兼コピーライター(2004年8月現在) 14.出身と現住地について差し障りない程度にお答えください 出身地: 岐阜県各務原市 引越し履歴 : 岐阜県各務原市 ↓ 愛知県春日井市 ↓ 東京都板橋区 ↓ North Vancouver BC CANADA ↓ Vancouver BC CANADA ↓ Brooklyn NYC NY USA ↓ 岐阜県各務原市(今は実家です) ↓
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インタビューの心得
「インタビュー」の仕事はよく「文章書き」とセットにされがちです。しかし、コツというか頭の使うところが文章書きと全然違います。自分が必要な内容を引き出す質問の仕方とか、口数が極端に少ない相手に話をさせる方法とか、実は文章書きよりもかなり大変です。 以下が、mae流インタビューの心得↓ ★事前準備はしっかりと インタビューする内容と相手について予備知識をしっかり入れておくと、沈黙時に回答のヒントを相手に与えることができます。 ★何をどの順番で聞くかスケジュールを立てておき、インタビュー開始時に質問の流れを相手に伝えるようにする 「話が盛り上がり、脱線&脱線&脱線&脱線→時間切れ」を防ぐため。これをやっても、時間オーバーしちゃう時があるんだけどね。 ★自分のインタビューメモは、相手に見えるようにしておく 見えないようにメモすると、必ず「ちょっとそのメモ見せてもらっていい?」と聞かれます。インタビューを受ける側は、何をメモっているか気になるみたい。だったら、最初から見せながらメモします。 ★インタビュー内容を録音する(でも、記事書きには使わない) 録音内容を確認しながら記事を書くと時間がかかるので、基本的に記事書きはメモだけを参考にして書くようにしています。ではなぜ、インタビューを録音するか?それは、「自分のインタビュー方法を確認(反省)」するため。まだまだインタビューの進行とか下手なところがあるので・・・ よく人に、「たくさん喋る人のインタビューと喋らない人のインタビュー、どっちが大変?」と聞かれますが、答えは「どっちも大変」です。話好きな人は、話が盛り上がり過ぎて脱線し、内容があらぬ方向へ行かないよう常に方向転換を心掛けなければいけないし、反対に話をするのが苦手な人は、気分的に打ち解け、安心して思ったことをポロポロ漏らすことができる雰囲気を作るようにしなきゃいけないからです。 でも、気苦労は多いけど基本的に楽しくやっています。インタビューは、普段口にしないその人のこだわりや信念が出る場なので、たまに「この人、素晴い!あんた、ブラボーだよ!」と感動することがあるからです。そのインタビュー相手とはそれっきり二度と会わないことがほとんどだけど、インタビューをやってるおかげで「世の中、素敵な人がいっぱいいるなぁ」と、ぼんやり感じることができます。 それって、すごく幸せなことだなぁー
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好き好きフェロモン
私の同僚に、“バリバリ外交戦術で戦う”タイプの営業さんがいます。彼はとても顔が広く、人にたくさん会ってプロジェクトをガンガン先へ進めるのを得意としています。 この前、その人と飲みに行った時、ほどよく酔っ払って話に盛り上がっていたら、ふと彼が、 「実は僕、人間があまり好きじゃないんだよねー」 と漏らしました。意外でした。 どうやら、平日は仕事のため利害関係を計算しながら人と付き合い、休日はお客さんの接待ゴルフに付き合い、いつも相手の顔色を伺いながら気を悪くしないモノの言い方をするようにしているのが原因みたいです。結局、他人に本音で喋れないモヤモヤが溜まって、相手の顔を見るだけで疲れてしまうんだそうです。 「それって、他人に嫌々付き合わされてると思っているから相手のこと嫌いになっちゃうんだよ。だったら、休みの日くらい無理して付き合わなければいいじゃん。」 「でも、どうしても付き合わなきゃいけないんだよ。」 「だったら、相手と顔を合わす度に自分が楽しいと思えるようになればいいんじゃない?相手のこと好きになっちゃえば?」 「は?どうやって?」 「まず、自分の全身の毛穴を開き、『あんたのこと好き好きフェロモン』を放出するの。」 「何だ、それ?」 「とにかく、相手に『あんたのこと好き好き』という雰囲気を感じ取らせるの。いい?人は自分に好意を持っている他人に対して良い印象を返す傾向があるから。自分の好意に影響された相手の好意を感じることができたら、今度こそ自分は本当に相手に対して好意を持つことができるようになるよ。」 「なんか、ややこしいこと言ってるなー。でも、言いたいことはなんとなく分かるよ。しかし、最初は自分から『好き好きフェロモン』を出さなきゃいけないんだろ?好きでもない相手に、ましてや嫌いな相手だったら、それは無理だなぁ。自分にウソをつくのか?」 「そう。最初はウソでいいの。というか、自分を騙すことから始めるの。『あんたのこと気に入らないけど、好きだ、好きだ、好きだ、好きだ』と思っていると、そのうち何が気に入らなかったのか分からなくなり、『あれ?もしかしたらホントは好きかもしれないなぁ』って思えるようになるから。」 「そんなん、オメーだけだよ・・・(失笑)」 好き好きフェロモンの重要性を分かってくれなくて、残念・・・ 私が思うに、結局、対人の問題って自分の気の持ちようだと思います。「自分は誰にも好かれていない」と思っている人の多くは、相手に「この人、私のこと気に入っていないんだろうなぁ」と思わせているのが原因だったりするし、反対に皆から好かれている人は、相手に「絶対コイツは自分のこと好いてるな。愛い奴め。フフッ」と思わせてるところがあるし。 心理戦と思えばいいのよ。好き好きフェロモンをどんどん出そう。それでうまくいけば、万々歳じゃない?下手にストレス抱えるよりは。
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