中日新聞2004年4月18日社説 「冷静になって考えたい」
小泉首相が、ボランティア活動の継続に「不快感」を表し、自民党総務会では救出経費の請求を訴える声が相次いだ。揚げ句は渡航禁止の法制化まで。 何かが変だ。
NGOやフリージャーナリストとは、「すき間」を埋める人々だ。とりわけ、紛争と交渉に明け暮れる国際社会はすき間だらけである。環境、貧困、衛生、水、教育…。地球上には、国家という枠組みでは解決が難しい重い課題が山積している。NGOが大切なのは、国家間の交渉には付き物の手続きやメンツにとらわれず、国境を容易に飛び越えられる存在であるからだ。
縦の命令系統に支配されて、現場での動きが緩慢になりがちな「国家」に比べ、NGOは横に結びつきやすい。国籍とは無関係にネットワークで結ばれて、機動力を発揮する。NGOははじめから、人と人との関係を基本に結びつく。
紛争地での「人道支援」に当たっては、そんな特性が生きる。統治と秩序をなくした国できずなを結び直すには、人と人との関係をまず築くしかないからだ。ボスニア、ソマリア、そしてコソボ…。NGO抜きにして人道支援は語れない。
解放された高遠菜穂子さんは、イラクの少年が身代わりを申し出たほど現地で慕われている。対日信頼も育った。それを知り武装勢力は早くから犯行の間違いに気づいていた。新たに解放された二人が丁重に扱われたのも、聖職者が積極的に仲介したのも、彼らを理解したからだ。
ジャーナリストらは、危険と使命感をはかりにかけた上、戦場に赴いた人たちだ。危険な場所を避け続けていては、国民の目と耳になれない。
だとすれば、邦人が有事に遭った時救出に全力を挙げるのは、政府として当然の使命ではあるまいか。本人や家族の感謝の言葉を受け入れてまず五人の生還を素直に喜びたい。高遠さんらがやがて再開するだろう活動を、責めることはできない。
政府とNGOは、これからもお互いを尊重し合いつつ、人道支援の両輪であるべきだ。NGOも今度の事件を教訓に危機管理、情報収集、後方支援体制や、政府との連携をさらに強化し、可能だと判断できた時点で活動を進めていけばいい。
五人に沈黙を強いるとしたら、この国こそ、少し危険である。
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